HOME > たいこ部(親友太鼓) Departamento de Taiko(SHINYUUDAIKO) > 2009年 全ブラジル太鼓選手権大会
JICA青年ボランティアでイビウーナの堀内先生。太鼓も教えており、冬休みであるにも関わらず、子供の応援に来る、とても元気でいい先生です |
という町で先生をしている帖佐先生。 行き当たりばったりの運営にほんろうされ、司会に集計にと大忙しのようでした |
会場が狭いために、選手達が座る席はありません。ですので、 後方の丘の上から見学 |
他のチームの出来が気になります |
最後に各チームから1人ずつ出て、太鼓の箕輪先生が作曲・指導した「さくら」を演奏しました。 |
7月5日 日曜日 午前10時40分 メモ・・・ 今ここから見える風景はマリリアの舞台の上で演奏するコロニアの太鼓部。今日はなんと「第6回全ブラジル太鼓選手権大会」。今日が皆の練習の成果を審査員と色々な人達に見せる大事な日。ピラールは一番に発表する事になっていたのでもうすでに演奏しました。(私の意見:)気合もよかったし、力強かったし、何よりも笑顔が皆の顔に写されていた。“私(僕)は太鼓を打つのが好きなんだ!”と言う気持ちが強く伝わってきました。でもどこの部もすっごく迫力もあるしとても上手です。結果がまちどおしい。 7月6日 月曜日 12時38分 7月4日(土曜日)23時頃、ピラール・ド・スール太鼓部親友太鼓はマリリアへ向かって出発した。次の日には太鼓の全国大会が待っていた。6時間ほどバスの中にいた皆はどんな事、どんな気持ちを抱えて過ごしたんだろう。私はドキドキワクワクしててすぐには眠れなかった。 マリリアに着いたのが早すぎて(6時前)まだだれもいなかったです。そして大会は始まる。親友太鼓は一番に発表するチームでした。私はタイムを計りながら舞台に立っている12人の仲間達のカッコよく太鼓を打つ姿を見た。素晴らしい演奏でした。練習よりもうんと上手だった。 いろんな町のチームが発表し、昼食を食べ、芝生の上に昼寝をしたりと一日は過ぎ、陽が暮れる頃順位の発表が始まった。ピラールのカテゴリーはジュニアでした。11チームの中、1位から5位までしか発表されない。ピラールの人達はみんな一緒に手を握り、結果を聞いた。一位のチームを発表する時、私は痛いぐらいさとみとまさみの手を握りしめた。「一位は・・・パラナヴァイ!」と聞いた。ピラールは一位をつかめなかった。その時私は舞台にいたよしこ達の所へ行った。いつの間にか私はよしこを強く抱きしめ、互いに音を立てて泣いた。よしこの呼吸は荒い。そして彼女の熱い涙はポタポタと私の肩をぬらした。その後、皆は荷物を取りに行った。皆のジャージを着た後ろ姿は悔しいのか悲しいのか私にはよく解らなかった。 よしこの熱い涙、 皆の悲しそうな後ろ姿、あきらのボンヤリした目とおーちの(初めて見た)泣き顔は目に焼きつかれ、これは多分忘れられないいあたく心に残る思い出になるだろう。 帰る頃には陽はとっくに暮れ、空はもうすでに暗かった。澄んだ夜空には真っ白なお月様が皆をやさしく包んでくれた。 バスの中では岩井さんが色んな事を話しました。“わたし達、お父さんやお母さん達にはあなた達が一番なんだ。あなた達はいつも一番なんだ。”とあきらのお父さんはみんなにやさしく言ってくれた。 バスのエンジンの音と共に、川畑さん(お母さん)が作ってくれたオイシイお寿司を皆で食べました。数分後、皆は泣き止み、食べ終わって寝た。うす暗いバスの中では私に見えたのは皆の疲れ果てた寝顔でした。 そして9時ごろ夕食を食べるのにGRAALに止まりました。皆は眠そうで、ほおと瞳が真っ赤。同じレストランで先に車で帰ったよしことあけみに(バッタリ)会いました。お腹をいっぱいにし、心も暖まりピラールまでの約4時間をただひたすら寝ました。 ピラールに着いたのは夜中の2時ごろだったっけ。皆は荷物をバスからおろし、会館へ入った。帰る前、部長岩井さんとリーダーのせいしが一言話しました。そして解散 書き忘れ・・・ @皆がわになって踊ろう。じゃなくてわになって泣いていた時、おーちは私の肩に手をのせ「ごめん」と言った。それは去年皆で約束した「日本に行くんだ」を守れなかったからおーちはあやまった。「おーち達のせいじゃないのに。それに来年も頑張れるでしょ。私の夢は日本に行く事じゃない。日本に行くという事は結果なんだ。私の夢はあなた達がもうとっくに叶えてるんだよ。“一生懸命、そして何よりも『太鼓が好き』と叫んでるような顔で打つ私の大事な仲間達を見るのが私の真実の夢なんだよ。」と言葉が頭に浮かんだけどそれは口に出せなかった。私に言えたのはただ「ううん!ううん!」、頭を小さく振りながら。 A舞台にいた5人の所へ行った。「皆泣いてるだろうな。早く行かないと」思いながら走った。よしことなぎさは泣いてた。しずおは全然。あきらは座り、目をそらさなかった。その目を私は見ました。そしてどんなに悔しかったか、辛かったかをどこまで解ったのかは知らないけど、どこも見てないボンヤリとどこかの違う世界で考え中だった。周りには(男の子達以外)皆は泣いていた。何もしてやれない、そして涙さえこらえきれなかった私に腹を立てた。それでも涙は止まらなかった。“私こそごめんね、お−ち”。 こうして終った長〜い一日でした。そして皆の心の中に残る一日だと思います。でも時間の流れを止めず、明日はやって来る。 そして今日(月曜日)、どんなに辛い事があってもまた立ちなおり輝く笑顔でいる私の仲間達。 “人生は七転び八起”って誰かが言ってたよね。それを私に見せてくれたのがあなた達なのよ、だからありがとう・・・ |
七月七日 (火曜日) 日曜日の太鼓大会。 土曜日には、私と太鼓の皆はまだワクワクしていました。「日本に行かれるかな。」「大丈夫だよ。一立になるよ。」「他の町の曲はどうなってるのかな。」「日本に皆と一緒に行きたいなー。」とみんなすごくいい気分になっていました。笑ったり、日本にいる私達の事を想像したりしていました。普通の練習より皆もっと笑ったり、笑顔でした。これでいいのかなー、と思うぐらい皆きらくでした。その時は一立をきたいしていました。 と、また太鼓の話しに戻どると、バスに乗って、お父さん達にバイバイと手をふりました。皆にぎやかでした。でもすぐに静かになりました。私とかおりしか起きていて、いろいろな事を話しました。その時、すごーく笑っておなかがいたかったです。なみだがでるぐらい笑いました。静かに笑わないといけなかったので、もっとおなかがいたくなりました。私もすぐ寝てしまいました。 起きた時、もうマリリアに着いていてさむかったです。体も痛くて、眠むくて・・・トイレに行ったり、朝ご飯を食べました。だんだん近づいて来おる。今日はどんななるかな。本当に言うと、私は親友太鼓が一立のトロフィールをもらっているのを想像していました。 じゃ、さっそく発表の時にいきましょう。皆はもちろんすごく緊張していて、もう太鼓、ちゃんと発表する、何も忘れない、笑顔、の事で頭がいっぱいでした。皆のきたいに答えたい、一立になりたいと皆思っていたと思います。発表する前、「ボアソルチ!」と言う声がたくさん聞かれました。「バモラ、おーち!」とおーちの手を強くにぎりました。その時の気持ちはすごかったです。きたいで、きたいで、一立になりたい、ちゃんと発表して皆に見せる!、とワクワク、ドキドキ。いろんな発特ちを感じていました。セッ!とせいしの声がする。私達は入いる。皆見ている。他の町の人達を私達の事をきたいしていた。発表の時、何も考えていませんでした。ただ、楽しく太鼓をどう打って、あと、なにもこうかいしないようにしたかったです。だから、全力でうちました。最後のあいさつにも、「ありがとうございました!」、と私は思ったよりホッとしていて、思ったより笑顔になりました。もううった。もう発表した。ぶたいからでて、皆もうれしそうでした。笑顔でした。ゆうごも「おー!すごかったよ!上手だったよ!」、うれしそうに言いに来ました。かおりも、お父さん達も、皆。一立とれるかな。。。と考えました。とにかく、私はいい気分でした。こうかいもなく、うれしかったです。発表の後、こうかいした気持ち出るのが一番いやな事です。日本に行く夢をかなえられる気分でした。 他の発表を見て、ご飯をしに行きました。その時お父さんまでほめてくれました。「ピラールが今まで一番よかったよ!」と言いました。ご飯の時も、「アイアイアイ。一立になるのかなー。けど、アラサツーバも上手だったからねー。」と話しをしました。皆は一立の事をしんじていました。「あのトロフィールがほしい!」、とあきら君が言っていました。私達はワッハ、ハ、ハと、あきら、おーち、さおり、ゆかり、ヒゾレッタが笑っていました。 リーブレのレベルは高かったです。私はびっくりしました。本当に皆すごかったです。大太鼓のカテゴリーでイビウナのはるみが本当に一番よかったと思いました。スペシャルの発表にも、ジャレスの発表を見ると、「へー、この人達は日本に行ったんだー。たくさん練習したんだろうね。」と思いました。 一番待っていた時が来ました。さきには大太鼓。イビウーナのはるみさん。あとはスペシャル。そのあとリブレ。イビウーナは二立になりました。おめでとう!!そして、やっとジュニア。五立の発表。私はすごく緊張していました。ほんのすごく!四立の発表。ピラールではなかった。三立。私はピラールとイビウーナの人達がしたをみて手をくんでいた事をずっと見ていました。すごく緊張していて泣きたくなりました。目が水でいっぱいになって、私は泣がこぼれないようにしていました。二立の発表。私はピラールかアラサツーバが発表されるかと思っていました。じゃなかったです。他の町がうれしくなっていた事を見て、私は去年の事を思い出しました。ピラールが四立になった気持ち。その気落ちすごかったなー!けど、その時は、泣ぐんでいてもうポロポロこぼれていました。一立の発表。こんどはもらうかもらわない。一立になるか、五立にもなっていない。ドキドキ。ピラールの“プラッカ”を強くにぎっていました。そして、ペドロやのさんが発表する前、私はひょうじょうに何を書いているのかを見ちゃいました。親友太鼓とは書いていませんでした。私は目をとじてもっと泣きたくなりました。わつぃの発持ちが何かふかーいふかーいところにおちた気分でした。けど、皆はまだきたいしていました。発表した時、もっともっと泣きたくなりました。パラナヴァイの人達がうれしくて、泣いていて、とんでいた時には、私はあそこにいたかった。 日本へ行く皆の気持ちは強かったです。だから、泣くのがとまれなかったのです。「親友太鼓!」とさけんだ時、皆の気持ちが感じられました。帰える時、お母さんとお父さんまで支えてくれました。その日は、すごく、すごく悲しくて、心がこわれた感じでした。皆のきたいには答えられなかった。けど、今は気持ちをいれかえて、やっぱり頑張り続ける。いつか日本へいくぞ――――!!!!!!! |